鹿肉は別名「もみじ」と呼ばれます。
動物のお肉なのにどうして植物の名前で呼ぶのか不思議ですね。
なぜ鹿肉が「もみじ」と呼ばれるのかには諸説あります。
この記事では、3つの説を徹底解説します。
Contents
鹿肉の別名は「もみじ」
鹿肉の別名は「もみじ」と言います。
鹿鍋のことを「もみじ鍋」と呼ぶなど、昔から使われてきた鹿肉の別名ですが、どうして鹿肉のことを「もみじ」と呼ぶのでしょうか。
「もみじ」の名称の由来
鹿肉を「もみじ」と呼ぶ由来にはいくつかの説があります。
①古今和歌集に詠まれた歌
古今和歌集は、平安時代(794年~1185年)に編纂された和歌集です。
この中に、
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき
-猿丸太夫
という短歌があります。
この短歌は、人里離れた山奥で、枯れて散った紅葉の葉っぱを踏み分けながらオス鹿がメスを呼ぶ鳴き声を聞くと、いよいよ秋は悲しいものだと感じさせられる、という意味です。
この有名な歌に「もみじ」と「鹿」が詠まれており、これが鹿肉の別名が「もみじ」である理由だとする説があります。
②鹿殺しの罪で死刑にされた少年の供養のため紅葉を植えたという伝承
奈良では昔から鹿は「神鹿(しんろく)」と呼ばれ神の使いとされてきました。
このため、鹿を殺した者は厳罰に処されてきました。
時は江戸時代、生類憐みの令で知られる五代将軍徳川綱吉の時代(1680~1709年)にさかのぼります。
この時代に、三作という名前の少年が興福寺で習字の練習をしていたところ、鹿が習字の紙を食べようとしました。
三作は鹿を追い払おうと文鎮を鹿に投げたところ、当たり所が悪く鹿はそのまま死んでしまいました。
当時、鹿を殺した者は「石詰の刑」に処すという決まりがあったため、三作少年も当時13歳でしたが石の中に埋められて死刑にされることになりました。
母一人、子一人の家庭だったため三作少年の母は大変悲しみ、三作の墓のそばに紅葉の木を植えました。
この伝承が元となって鹿=もみじになった、という説もあります。
③花札の絵柄「紅葉に鹿」
花札は1800年代(江戸時代)から日本に存在していたカードゲームです。
この花札の絵柄の一つに「鹿に紅葉」があります。
紅葉の木の下でツーンとそっぽを向く鹿が描かれたこの花札、絵柄の由来は古今和歌集の「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき」であるとする説と、上記の三作石子詰め伝説であるとする2つの説があります。
絵柄の由来がどちらであれ、この花札の「鹿に紅葉」が鹿肉をもみじと呼ぶ由来であるという説があります。
鹿肉を隠語で呼ばなければならなかった理由
さて、鹿肉を「もみじ」と呼ぶ由来については上記の3つの説があることがわかりました。
では、どうして鹿肉を堂々と「鹿肉」と言えずにわざわざ「もみじ」という隠語を使う必要があったのでしょう。
これは仏教が肉食を禁止していることと関係があります。
江戸時代には、仏教の影響で肉食は禁止されていました。
ところが、庶民は隠れて肉を食べ続けました。
その際、表向き禁止されている物ですからおおっぴらに「鹿肉」と言うわけにはいかず、動物のお肉に植物の名前を付けて隠語として使っていたというわけです。
おわりに
日本の歴史と密接に結びついている「もみじ」という呼び方の由来。
今度もみじ鍋を食べる機会があったら、そんな歴史に思いを馳せながら食べてみてはどうでしょうか。
関連記事